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前回のレポートをもとにして、わかりやすく害虫防除の話とフェロモンについて紹介したいと思います。今回は、その1の解説です。
前回はレイチェル・カーソンの「沈黙の春」を紹介したので、今回は彼女の遺作となった「センス・オブ・ワンダー(これ何!!という感性、好奇心)」を、この文のはじめにおきましょう。雪の下から、春の息吹きを感じさせる小さな芽を見つけたとき。夏の間中いのちをもえたたせた街路樹の葉が、色を変えて秋霧に溶けてゆく風景。これらが一生に一度、百年に一度、自然が見せる演出であったなら、きっと価値のつけられないshow になることでしょう。どんな用事もキャンセルしてかけつけることでしょう。 自然はおしげもなく毎日の中に、このような景色を差し出してくれています。そして、このような自然の贈り物を見つけることは、自然への少しの関心でことたりてしまうのです。もし、大人が子供におくるプレゼントにこまっているなら、外に出て一緒に、美しいものを、不思議なものを探してみてはどうでしょう。それは子供にとっては大切な思い出になりますし、大人は逆に、もともともっていたセンス・オブ・ワンダーを、子供から教えられるかもしれません。こんな優しい感情を、この本から見つけることができるでしょう。 この感性を大切にもっている人が、現代の文明をたんに否定することなく、どうしたら多くの人が一緒に住める社会をきずけるかをいつも考えているならば、きっと明日は今日よりも素晴らしい世界になるはずです。 農と食 人間は生きるために他からエネルギーをとらなくてはなりません。「食べる」こと。農業のもとはここにあります。安定的にエネルギーを摂るためには、自然採取・狩猟から、耕作・家畜などの農業が必要になりました。貯蓄できる作物は、交換できる価値を生み、豊かさのもとになり、育種・気象天文などの知識をそだて、文化の担い手のひとつになりました。日本も、江戸時代までは「米」が経済の担い手になっておりました。作物の価値が、様々なものを生みだし、生活を豊かにしてきたことは素晴らしいことでしょう。 しかし他の二次、三次産業製品とは違い、農作物には「食」という価値ははずせません。おいしさ、安全性はもちろん、健康増進、そしてものを育てるといった創造の喜びから人格の向上といった「農」を営むうえの根本を忘れてはなりません(もちろん経済性は追求すべきです)。 作物にこめられた経済的価値が先行して、農薬市場、化学肥料市場をよろこばして、彼らの企業の従業員を養わせるだけでは不十分であり、安心して作物を食べられる責任、美味しいものを食べる喜び、こういった責任をつかんで企業する精神が、農業関係者に必要なのではないでしょうか。 地球環境 そして、今世紀になって人類がわかり始めた、地球環境、生態系というものへの配慮を忘れてはならないでしょう。「沈黙の春」で、衝撃的であったのは、垂れ流していた農薬や化学物質が、海や空で薄められるのではなく、生物の喰う喰われるの連鎖の中で濃縮されて、小鳥やわれわれの食卓へともどってくる事実でした。私たち日本人であるならば、水俣病などの例で、海中へ棄てられた有機水銀が、植物プランクトン、動物プランクトン、小型の節足動物や小魚、大型の魚、飼いネコや人間へとつづく連鎖の中で濃縮されたことは、ご存知であろうと思います。地球という船中にゴミを散らかしていたら、船員がその報いを受ける事になるのは明らかでしょう. 北の国の話ですが、人間が森を切り開いた結果、河が森の幸を運べなくなり、海の生態系が乱れ、ニシンがとれなくなりました。その原因を人間は、シャチが食べたのだと勘違いし、シャチをも狩ってしまったのです。シャチは共同でニシンを海面に追い込み、鳥にエサを与え、鳥のフンが肥料となってまた森を豊かにしていたのに・・・。ようやく近年、森を大切にすることと、豊かな海の幸との因果関係がわかった(昔の人は知っていましたが)のです。長良川上流では、人間の生活排水をエサとするプランクトン、それをエサとするカゲロウ、カワゲラなどの幼虫、それを食べる魚、それを食べる人間という循環がめぐっており、完結した生態系が整っています。そのため、水はいつもきれいです。 循環--連鎖、これらのことが、さまざまな悲劇を通してやっと明らかになってきました。植民地時代を通して、経済至上主義を通して、私たちは、やっとかけがえのない、ひとつの地球の乗組員同士であったことがわかったのです。自然は地球船の中で長い時間をかけてこの循環を完結させてきたのです。人間がこれから構築してゆく文明物も、自然や宇宙のなかで循環するものを描いてゆかなくてはならないのでしょう。農業にも、美味しい、安全、健康ということはもちろん、その活動を通して、地球環境に負担をかけない循環型の経営理想が、もとめられているのです。 長良川上流のような生活は、大衆社会では無理です。そのときこそ現文明の叡智を組み合わせはたらかせ、人工の循環社会をきずくべきです。環境にやさしいことが新たな価値として、利潤をうみだしつつある今、「循環」ということが、新たな農業設計のキーワードとなるでしょう。 循環 しかし現状を見ると、フロンガスの存在がオゾン層を破壊しつづけるといわれているような、あるいは、農薬散布によって、天敵が減りかえって害虫が増え、またもっと強い農薬をまくといった悪循環が形成されているということは、いったいどうしたことでしょう。このままではいけないということです。 そうであるならば、プラスを循環させることはできないでしょうか。農家の方々の、「美味しいものをつくりたい、食べてもらいたい、食卓に喜びを届けたい」といった想いは、素晴らしい作物を描きます。そのためは、まず土を健康にすることが必要です。太陽と水と、健康な堆肥と肥料からは、健康な野菜ができます。健康な野菜を食べると、人間も健康です。人間の生活からは、さまざまな食品関係の廃棄物が出ます。これは棄てればゴミとなり、焼却すれば地球温暖化に関係のある二酸化炭素まで戻ってしまいますが、これを堆肥として循環させることができます。そうすれば、地球も健康になります。地域の家庭や、食品工場から食品廃棄物をなくし、街をきれいにします。それだけではありません。河や湖を汚しているのは、家庭の洗剤や工場の排水ばかりではありません。必要以上の肥料は川に流れ、生態系が乱れるほどの多量のプランクトン、藻類を発生させ水を汚します。適正な量で健康な肥料をほどこすことによって、その心配もなくなります。 この循環の中では、野菜も健康で、病気や害虫に強くなります。すると、今までのような、殺菌剤や殺虫剤を大量に必要とする事もなくなります。小川や里山の多様な生き物が、ふたたび棲めるようになり、より害虫の発生を抑えてくれることでしょう。 このように基本は健康の循環という内科的な健康法にそいつつ、ただし、人間は他の生き物と生きている以上、害虫や作物の病気から完全にまぬかれることは不可能でしょうから、外科的手術が必要な場合に害虫防除をほどこすことになります。これも、害虫を一掃することに急であって、生態系の循環を壊すようであっては意味がありません。そこで、次の時代の害虫防除法として、総合的害虫管理(IPM, integrated pest management )という考え方が出てきました。そのひとつが、次回紹介する、フェロモンを利用した管理法です。 私たちは、化学肥料や合成殺虫剤なしでは現状の作物生産量を維持できないことを知っていますし、人体に害の少ない殺虫剤を開発したり、どのようなしくみで生物が薬剤抵抗性をもつようになるかを研究していることを知っています。そのような研究はこれからもすすめられなくてはならないでしょう。また、作物以外にも、生態系や、微生物や昆虫などのことを知り、それらを応用して農業を営む、知見としなやかさが求められてきていると思います。このような知識を、若い方々が活かしきり、年輩の方々の経験とあわせて、循環型農業をいとなむことによって、若い人の職業難も農業の高齢化も解消し、オオタカが舞い、タガメが泳ぐ農業都市を築くことができるかもしれません。 農業においてこうした循環の大きな輪は、きっと宇宙をとおってくる太陽の光からはじまるのかもしれません。私達は、この手の届かない太陽に何も返してゆけないとするならば、きっと「美味しい」とか「ありがたい」という感謝の思いを向けてゆくことが大切なのではないかとも思います.そして太陽も、植物も、動物もその光や生命を捧げていることに思いを向けて、私達人類がなにをおこない、なにをなすべきでないかを日々かんがえつづけることが大事なのだと思います. 「美味しい作物」を求めて、「土」から始まった健康な循環は、野菜や家庭や、社会、生態系をめぐって、おおいなる「土」、地球に戻ってくるのです。その間に、地域の多くの笑顔をつくり出してゆくことでしょう。 掲載書籍:レイチェル・カーソン/センス・オブ・ワンダー/新潮社 (第1回へ)もどる
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